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 Japan Chald Meningtis Organization 

当事者の声voice

 匿名

 細菌性髄膜炎を患い、現在もけして軽くはない後遺症が残っております。
 1日も早くワクチンが承認されて、この疾患にかかる子どもたちが少なくなりますよう願ってやみません。


1歳4カ月児 ヒブ(Hib)

子供が1歳4ヶ月にインフルエンザ菌b型に感染しました。
はじめは風邪から始まったのですが、風邪で弱った体にインフルエンザ菌b型が入ったらしく、敗血症を伴い本当に危険な状態でした。
私は息子がこんなに大変な状態になっていることに気がつかず、その日の夜に手のひらに出た斑点を見て手足口病かな??
なんてのんきに思っていました。
でも、実際は敗血症の症状だったのです。
次の日、病院に連れて行くと、すぐに入院となりました。
 そこで化膿性髄膜炎であることを聞かされ、どうしてもっと早く気がついてあげられなかったのか後悔し、泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えています。
それからはつらい治療の開始。
入院して4日後には中大脳動脈の脳梗塞を起こしていることがわかり、このままでは命が危ないと、国立小児医療センターのICUへ転院。
治療の甲斐あり命は取り留めたものの、そこには生まれたばかりの赤ちゃんのようになった我が子がいました。
右脳には全体の脳の約3分の1にもわたるダメージが残り首も据わらず、座ることもできない、呼びかけにも無反応。。。
そんな状態がしばらく続きました。

しかし、リハビリに励み現在(3歳5ヶ月)は歩けるまでに回復。
ただ、後遺症は残りました。
左片麻痺、右耳の難聴、癲癇、発育の遅れです。

こんなに怖い病気を予防する手立てがあったなら・・・
今はこんなにつらい思いをする家族がこれ以上増えないよう、
できるだけ早くワクチンの接種が行えるよう、望むばかりです。
どうか、一日も早いワクチンの接種を可能にしてください。

患者ご本人 結核性髄膜炎

25年前に24歳で結核性髄膜炎に罹患しました。当時は会社員でした。
後遺症は複視、筋力低下による筆跡の変化。
退院後に結核性と判明し、9ヶ月間大学の付属病院に入院。
その後は薬は服用していませんでした。
2度目(おそらく再発)を12年前に38歳で経験しました。当時も会社員。
後遺症は前記に加えて軽い癲癇(てんかん)です。
2回も死の淵をさまよいました。
自分に合う抗癲癇薬を探し、リボトリール(ランドセン)にたどり着きました。
1日に、0.5mg×3=1.5mgを11年以上服用しています。
昨年の正月にSAKURAにお邪魔してから、髄膜炎のことを考えるようになりました。
自分の回復が奇跡的であったことも聞かされていましたが
SAKURAにアクセスして、乳幼児の罹患がいかに危険なことかを知りました。

8か月児 ヒブ(Hib)

娘が8ヶ月の時に細菌性髄膜炎になりました父親のayutouchanと申します。
現在1歳1ヶ月を迎え後遺症が心配されますが今のところ特に異常なく成長しているようです。
お世話になった病院や先生方に深く感謝致します。
娘が細菌性髄膜炎と突然診断され入院当初に医師から「後遺症は残ると思って下さい」の言葉で
未来に希望など持てないほど細菌性髄膜炎の恐ろしさと後遺症の恐怖で毎日直る事だけを祈っていました
そしてうつろな目の娘がこのまま私達親の事理解出来なくなってしまうのではないか?
心をどこかに持っていかれてしまうのではないか?心配でたまりませんでした
無事退院出来ましたが細菌性髄膜炎の後遺症が心配でネットで調べるうちに
ワクチンが世の中に存在している事を知り日本でも承認していればたくさんの子供を救えるのではないか?
承認が遅れている理由は?
想像してみてください我が子が細菌性髄膜炎に!
ワクチンが他の先進国では普及しているのに日本では承認が遅れています
運が悪かったでは親として納得できるはずも無いのです
怖さを知る者として強くHib・肺炎球菌ワクチンの承認普及を1日も早く願っています

1歳6か月 ヒブ(Hib)

2006/12/02次男(1歳6ヶ月)が高熱の為かかりつけの病院の救急に行きました。
一応様子を見て入院となりました。
私も風邪で38℃以上の熱があり、後は妻に任せ帰宅しました。
 
翌日、妻から連絡があり髄膜炎の疑いがあるので検査をするとの事でした。
ふらふらでしたが私もすぐに病院に駆けつけました。

結果は細菌性の髄膜炎(インフルエンザ菌)目の前が真っ白になりました。
担当の先生からは後遺症が残る可能性が非常に高いと言われました。

ネットや本など色々調べましたがどうすることも出来ない自分がそこにはいました。
4,5日はもうろうとして元気ない次男にこのまま元気にならないのではと絶望感で
いっぱいでした。しかし1週間後あたりから少しずつ元気がではじめ少し食事も取れるようになりました。

様々な検査を行い、幸い治療が早かったので後遺症の心配はほとんどないと言われました。
今後は定期的に検査は必要ですが、2006/12/20無事退院となりました。

2006/12/25 次男は中耳炎が慢性化し今回はそれが原因で細菌性の髄膜炎になりましたので、
中耳炎の手術をする為に本日再入院で明日手術を行います。

最近、新聞でワクチンがあることを知りました。「どうして?」と思いました。
発症率は低いかもしれませんが、発症した場合の重症度を考えれば任意ではなく
公費で接種を推進するべきと思います。


2歳1ヶ月 ヒブ(Hib)

2007・7
朝方に突然泣き出し、主人が娘の体が熱い事と少しぐったりしているのに気づきかか
りつけの病院に連絡し、車で病院まで行きすぐに診てもらいました。
病院(処置室)で熱を測ると40℃、ここでは血液検査とレントゲンなどの検査をし持
病の心臓病もある為入院になる。処置室での検査結果は特にこれと言って異常があり
ませんでした。
病棟に上がって解熱剤の座薬を入れ夕方までグズリながらも寝ておとなしくしていま
した。夕方、座薬が切れてきたのかみるみる熱が上がり始め、先生・看護師が相談を
始めていました。
そんな時、痙攣が始まりました。個室の部屋には私と主人だけ・・・
すぐに看護師を呼び処置が始まりました。5分〜10分の痙攣が2回私達はただただ見て
いるだけで震えが止まりませんでした。痙攣止めの薬を点滴から入れて様子をみまし
た。翌日大事をとりICU移動・・・
ICUでは先生が原因を探る為、色々考えて髄液を取るという話しが突然決まりまし
た。結果は10分後にすぐ出て居るはずの無い菌の数値が高いっと言われ、ある程度の
原因がわかった事で、集中的な治療が始まりました。
「菌は インフルエンザ菌  細菌性髄膜炎  最重症です」 言われました。

ICUには5日ぐらい居たでしょうか?まだ顔はボーっとしていて体の突っ張りもありま
したが、病棟に戻りました。病棟に上がって2日後の午前中、娘のベットの周りに3人
の先生が囲むように居て、何事かと思い聞くと「付随運動が診られる、ドルミカムと
いうお薬を点滴して様子を見たい」前日に点滴がすべて外され、明日にでも退院と言
われていただけにショックで言葉が出ませんでした。
娘は勝手に体が動いてしまう事にイライラと苛立ち、抱く事も出来ず泣き寝入りの日
が1週間続きました。
髄膜炎になる前はやっと、お座りが上手に1人で出来るようになった時で、当時は座
る事も物を持つ事もすべて出来なくなり赤ちゃんに戻ったかのようでした。先生から
は「これだけ重い感染症にかかれば後遺症の事も覚悟してください」とICUから言わ
れていました。しかし私達には、後遺症の事よりも娘がどんな形であろうと生きてい
てくれれば・・・この事しか考えていませんでした。
入院は約1ヶ月。
入院中にMRIで脳全体に萎縮が見つかりました、脳の一部も機能出来ていない事、し
かし周りの脳が補い成長していく、耳の異常は全くありません。
入院中にリハビリも開始しました。8月の終わりに退院してから今までで娘の力・兄
弟の力・リハビリの力、色々たくさんの力を借りて娘は日々回復しつつあります。
(お座りはまだですが・・・)


娘は生まれながらに重い心臓病を持って生まれてきました。生まれてすぐ大きな手術
をし生死の境を何度もさまよいました。心臓病だけでも娘は大変な思いをしています
が、今年、細菌性髄膜炎(インフルエンザ菌)にかかり菌の恐ろしさを知りました。

ワクチンがある事は最近知りました。色々調べる中で、日本の医療体制の遅れに怒り
さえ感じました。救える命が目の前にあるのになぜ?こんなにも時間がかかり実行に
移せないのか!!

今日病院でインフルエンザb型ワクチンの話しが出て、担当医が感染科の先生に聞い
てくれて、ワクチンの事を教えてくれましたが、ワクチンは手に入らないと言ってい
ました。先生も認可されたはずなのに、すぐに手に入らないのおかしいと首をかしげ
ていました。

これ以上子供たちを苦しめないでほしいです。


生後2ヶ月 Hib

朝いつもと変わりなくご機嫌で目覚めた娘。ただいつもより全身に血の気がなく青白かったのを覚えています。
10時ごろ少しぐずりました。おっぱいの飲みが少し悪かったもののすぐに眠り始めました。
しかし4時間経っても起きないので、起こそうと抱き上げるも一瞬パッと目を開けてはまたうつらうつらと眠る状態…様子がおかしいのでとりあえず熱を測ってみると38.9度!
これは大変と近医に連れて行くと、すぐに大きな病院に紹介になりました。
そこで採血検査が行われた結果、CRPは高値なのに白血球数が異常に低値でした。
本来ならば上がるはずの白血球が下がっているので逆に気持ち悪い(大きな病気の可能性あり)とのことで急きょ随液検査をすることに。
結果、細菌性髄膜炎が判明しました。
このときの細胞数は3万以上でした。簡易的に顕微鏡で見たところ桿状の菌であることからインフルエンザ菌と推測されました。(と、ここまでの間娘の場合は細菌性髄膜炎の特徴である嘔吐・けいれんは一度もありませんでした。
そんな少ない手がかりの中、細菌性髄膜炎を疑い検査をしていただけたことは本当に奇跡でした)

19時ごろに診断がついてからICUに入院し、「2,3日がヤマです」と告げられ生きるための治療が始まりました。
夜になって痙攣も起こり始めました。病状の進行とともにもはや座薬と点滴では痙攣が止まらなくなり、脳を休
ませるために麻酔を使うことになりました。麻酔によって呼吸、排尿機能も止まってしまうので人工呼吸器・尿カテーテルを挿入することに。と同時に敗血症からDIC(血管内播種性凝固症候群)という非常に重篤な状態にも陥ってしまいました。
これは体の中で血が固まりやすく(梗塞を起こしやすく)なるし、出血もしやすくなるという状態です。
DICによる貧血状態を打開するため赤血球と血小板の輸血も行われました。
体が小さい分、人工呼吸器の管理も難しく肺炎も併発してしまいました。
小さな体は管だらけになり、全身浮腫でパンパン…本当に痛々しい姿でした。
祈ることしか出来ませんでした。

抗生物質の治療ももちろんしてはいましたが病気の勢いがすごすぎて
最初の一週間程はこれでもかこれでもかというくらい次々と上記のような問題が起こりましたが10日目には抗生物質だけの点滴になり、一般病棟へと移りました。
がしかし、脳のMRI検査で「硬膜下膿瘍」が認められました。
CRP値と熱が思った以上に下がらないのはこの膿瘍のためで、もしかしたら脳外科の手術で取り除かなければならないかもしれないと告げられました。
インフルエンザ菌も耐性菌のほうでした。
抗生物質もドンピシャで効果を発揮してくれるものがなかなか見つからず、いろいろ変えてみてようやく発症から30日目で熱も下がり、膿瘍も消えました。約一ヵ月半の入院でした。

娘の場合、電撃型と呼ばれるものだったのかもしれません。これという予兆もなく発症から24時間以内には意
識不明の重体に陥っていましたから。
 早期に発見、診断、治療開始していただいたにもかかわらず、CT検査の結果、脳のわりと広い範囲にダメージ
が残り、障害は残る可能性が高いと主治医から告げられました。
しかし脳には不思議な力があってCTの画像だけでは判断できないし私もいろんな奇跡的な症例を見てきた、と前向きな言葉もかけていただきました。

現在、娘は定期的に発達を診てもらっていますが今のところ順調に発達してくれています。
病気になって口からミルクを哺乳できなくなって鼻からチューブを入れていたのに退院して2日目に突然哺乳しだしたりと子供の回復力を目の当たりにしました。ただ生きてくれていることに感謝です。

今も日本のどこかでこの病気に苦しむ子供がいるなんて…
病状の深刻さ、そして菌の耐性化が進むなか一刻も早くワクチンの義務化を本当におねがいします!!




この疾患の怖さを伝えたい・・・

5か月児 肺炎球菌

それはGWのことでした、生後初めての発熱・・・
連休中のためいつも通っている小児科はお休みでした、地域の休日診療所へ走りました。
そこでの診断は突発性発疹だろうとのこと・・・月齢的にもそうかもしれないと思った私たちは
1回分の水薬と抗生剤をもらって帰ってきました。

翌朝、一旦解熱しホッと胸をなでおろしたのもつかの間夜になりまた高熱になりました。
???こういうものなのか???疑問は感じつつ、朝を向かえて近所のいつもの小児科に・・・
そこでも”突発性”の診断で数日分の抗生剤。数回分の解熱座薬を処方してもらい帰宅。。。
あまりの高熱つづきに解熱剤を6時間おきに使用してしまったのです
(これがますます髄膜炎の発見を遅らせてしまったのかもしれないと、何度自分を責めたかわかりません)
熱が上がったり下がったりしながら家で様子を見て過ごしてしまいました。

当時仕事を持っていた私は何日も仕事を休むことができず、
母に家のすぐ目の前にある内科を受診するように頼んで・・・・
前日の夜同じ内科では”おたふくかぜ”の診断でしたので高熱は仕方がないものと思い込んでいました。
母からの電話でぐったりしてミルクも飲まなくなったと連絡をうけ再度すぐ受診
ここでは点滴すら打つことができないと言われ
その時点でもまだ自家用車で大きな病院へ転院したのでした。。。

家族のだれもが、まさかこんな怖い病気になっているなどと考えもしなかった。
転院先の病院でも順番を待つようにと指示があり
もう泣く元気すら残っていない様子の息子を見て、私の母が『待てません!!』と言っていなければ・・・
本当に間に合わなかったかもしれない・・・

・・・そんな中駆けつけた私に笑いかけた笑顔を・・・
(この時はまだ長い期間笑顔をみれなくなるなんて想像もしていなかった・・・)

これが長く辛い治療のはじまりに過ぎなかったのです。

ぐったりしているものの、時折呼びかけに反応する息子はこの時点は意識はあったのに
痙攣が度重なり容態は日に日に良くなるどころか悪くなってくる・・・
一度減り始めた細菌数が再び上昇・・・
麻酔を使用して脳を眠らせ治療しましょう!ということになりICUに・・・

この期間何がいけなかったのか?
小児科に見せなかったから?
もっと大きな病院を受診するべきだった??自分や家族すら責め
突発やおたふくと診断した先生たちを真剣に疑いました。。。
家でネットでこの病名を検索しては書いてあるあまりの恐ろしさに涙がとまらなかった・・・

麻酔が覚めない!!
こんなアクシデントもありました。。。
予定していた4日を過ぎても麻酔がさめない、CRPは確実に減っていて目覚めるのを待つだけに・・・
何本ものさまざまなコードにつながれた息子の眼には
眠っているのに涙があふれていたのが忘れることができません。

ようやくICUから病棟に戻ってくると、次はさまざまに後遺症の診断が私たちをまっていたのです。。。
難聴・・・
てんかん・・・
難聴の診察に使用するため撮影したCTで・・・
水頭症がわかり再び手術へ・・・

手術は無事成功したものの、すでに据わっていたはずの首はくにゃくにゃ
ミルクは哺乳することができなくなっていました。

点滴やさまざまな線が外れた腕は硬くなり、背骨も少し曲がり(即湾)はじめていました。
一番つらかったのは、無表情であれだけ笑顔をたやさなかった息子が笑えない・・・

私たち家族がこころから幸せを感じる日はもうないのかもしれないなどと
この時は本気で思っていました・・・

それでも、この子の命が助かって私の腕に帰ってきた・・・

数年がたち、いまだお首はすわらないし、座ることも、しゃべることもできない息子ですが
少しずつの成長も見え、哺乳(吸う)はできなかったけれどマグから経口で飲めるようになったり
ゆっくりでしたが笑顔を取り戻すことができたり・・・

本当にゆっくりですが家族は歩みを始めています。

この病気が予防できると知った時、この事実を知っていて予防に努めない日本の行政は殺人行為に
等しいとすら感じました。

これ以上、この病気でいのちを落としたり・後遺症を残す子どもたちを増やさないでください。。。
お願いいたします。
このようなことが繰り返されないことを願っております。

1歳11か月 不明

次男が発熱したのは1月8日の祭日でした。通っていた保育園ではりんご病が流行っていました。二歳上の長男も38度近い発熱をしていたので、当日の小児科担当の総合病院に二人を連れて行きました。
当時はインフルエンザが流行っていたのでなるべく病院には行きたくありませんでしたが、
夜になって悪化しては困るので慣れない救急病院に行きましたが、医師の診断は「発熱以外の症状が見当たらないので、
薬は出さない。
明日、掛かりつけの医師に再診を受けて下さい。」と言われ帰されました。
不審に思いながらも、今の医療体制の無理を日ごろから感じていたので翌日の夕方、掛かりつけの病院へ行きました。
診断は二人ともりんご病による発熱でした。
薬をもらって帰宅中の車で突然次男が痙攣し始め、救急車を呼び、
当日の小児科担当の昨日と同じ救急病院へ搬送されました。
診断は熱性痙攣でした。痙攣止めと座薬をもらい帰宅しました。
朝方までぐずついていましたが、少しずつ落ち着いてきたので様子をみていました。
 
時々、給水させたり、熱をはかっていましたが、昼前に急にぐったりしたのに気がつき、
抱きかかえてみると崩れるように布団に転がり落ちました。
その時、ただ事ではない、何かおかしいと思いました。急いで車に乗せて、掛かりつけ医の所に行きました。
車中で「ぶどうジュースほし・・・」といって飲んだのですが、すごい勢いで嘔吐し、本当に分刻みでぐったりしていきました。
 
病院に着いてからも、診察時間まで10分ほど待ってるうちにも嘔吐をして顔面蒼白になり、泣きながら診察をして貰える様懇願し、診察を受けました。すぐに先生は「お母さん、落ち着いてくださいね、おそらく髄膜炎です。
紹介状を書くので直ぐに総合病院へ行ってください。」と言われて正直、すぐに受け入れらず呆然としました。
ただ、素人の私が見ても明らかに、次男の意識はほとんどなくなっていて、ただぐったりしていました。
看護士さんに「お母さん、大丈夫だからしっかりしなさい」と言われ、本当に大変なことになってしまったと気づきました。
ずっと声をかけても目も開けてくれない次男にすがって泣きました。
なぜ、近くにいて何も気がついてやれなっかったのか・・・自分を責めました。
救急車に乗って搬送されている時間がとても長く感じ、手を握っても、握り返さない次男をただ見つめて泣いていました。
病院に到着後、すぐにレントゲンを撮ったり、採決が行われたりしました。
すぐに先生に「髄膜炎です。種類が色々ありますが、おそらく細菌性かと思います。
直ぐに処置をしないと命の保障がありません。
ただ、菌の特定が直ぐにはできないので、薬も沢山使います。
副作用もあるし、後遺症が残る可能性も高いです。」そう言われました。私はその場で泣き崩れてしまいました。
 
その後、処置が進み、沢山の機械と点滴の線につながれたまま、一週間ほどが過ぎ、だんだんと回復して行きました。
次男の生まれ持っての生命力と、先生方の判断と処置の速さで、助けて頂いたと思っています。
 
明日、2回目のABR(難聴の検査)に行きます。次男は今のところは元気に大きくなっています。
ただ、これからどんなことが有るか分かりません。
ずっとこのことを背負っていかなければいけませんが、生かされた命を大切に大きくなっていってほしいです。
今日、初めて病気についてネットで調べました。それまでは、現実を確認するのが怖くて調べられませんでした。
 
もし、ワクチンのことや発症件数を知っていたらもっと気を付けられたかも悔やまれます。
ぜひ多くの保護者の方にもこの病気の事、ワクチンの事を知っていただいて、
少しでも多くの子供たちをこの病気から守れたらと心から思いました。

4カ月 ヒブ(Hib)

半年前(2007年6月)、4ヶ月の息子が細菌性髄膜炎にかかりました。
 病気は突然の発熱(38度台)ではじまりました。熱はあるものの、他にこれと
いった症状はなく、ただひたすらおとなしく、ぽーっとした顔で寝ているので、しば
らく様子を見ることにしました。突発性発疹かと思いましたが、あやしても笑わな
い、抱き上げると嫌がって泣く、大泉門が膨らんでいるというのが気になりました。
そして、夜中には何度もぐずって起きては泣き、抱くとますますのけぞって泣くとい
う状態に。一度吐いたので、不安が募りました。
 近所の小児科で診てもらうと「突発性発疹だと思うが、念のため、血液検査を」と
いうことで、検査を受けました。結果はCRPの値が異常に高く、重症の感染症の疑い
があるということ。すぐに入院が必要との事。大きい病院の紹介状を頂き、自家用車
で移動しました。
 そちらの病院には連絡が既に届いており、受付、診察、検査、入院と事はスムーズ
にすすみました。髄液がにごっており、細菌性髄膜炎という診断はその日のうちにつ
きました。その後インフルエンザかん菌とわかり、抗生物質による治療もすぐにはじ
まりました。「早く診断がついて良かったね、大丈夫よ」という看護婦さんの言葉に
救われる思いがしました。
 およそ3週間の入院治療。息子は順調に回復しました。熱も下がり、抱き上げても
泣かなくなり、笑顔も戻ってきました。ただ、脳に水がたまっており、完全にひける
までには時間がかかるとの事でしたが、脳自体に異常は見られず、脳波の結果もOK。
耳の検査もクリア。そして、退院。
 数ヶ月ごとに脳のCTの検査と発達の様子を見てもらいに通院していましたが、先
日、お医者さんより完治との言葉を頂きました。本当に嬉しかったです。
 息子を診て、「突発性発疹だとすると4ヶ月では少し早い、それにずいぶん元気が
ない」と、血液検査をしてくださった、近所のお医者さんの判断のおかげで、息子は
命を救われたと思います。紹介された病院でも、迅速に事がすすみ、担当の先生はい
つも丁寧に治療方針を説明してくださり、質問にも答えてくださり、安心しておまか
せすることができました。この二人の先生には、本当に感謝しています。
 息子は今10ヶ月。何事もなかったかのように元気で、毎日立つ練習に熱心です。
でも、もしあの時、診断がつくのが遅れていたら…と思うと、怖くなります。ほうっ
ておいてはいけない、死んでしまうかもしれない病気なのです。
 「発熱・頭痛・嘔吐」という典型的な症状も、4ヶ月の息子には顕著ではありませ
んでした。今思えば、おとなしいことを異常と気づかなければいけなかった。もっと
早く病院に連れて行けばよかったと後悔もあります。
 こんな恐ろしい病気にかかる子どもが、なくなりますように。親も大変に辛い思い
をします。息子は幸いにも完治しましたが、後遺症が残るようなことになれば、どれ
ほど辛いことでしょう。日本でもワクチンが受けられるようになることを、願ってや
みません。

1歳8ヶ月 ヒブ(Hib)

息子が1歳8か月の時に細菌性髄膜炎になりました。
初めは発熱で普通の風邪と思っていましたが母親のカンというのかすぐに異変に気付きました。
夕方、病院へ行こうと着替えている時、息子をみるとまさに痙攣をおこしていました。
怖くなり何度も名前を呼び体を揺すりました。私はそのままマンションのしたの小児科へかけこみました。
すぐにダイアップを入れられ血液検査をしたところ
CRPが高く重度の感染症の疑いといわれました。
翌日からゴールデンウィークに入ることもありすぐに近くの県立病院に入院しました。
そこから悪夢の日々がはじまりました。はじめは不明熱とされ色々検査しましたがなぜか髄液検査はされませんでした。担当医はなかなか病名を判定できず10日が過ぎました。
その間も熱は40度をさがることなく6時間おきに座薬を入れる毎日でした。
ある日担当医が私と主人を呼び病名は川崎病といいました。すぐにガンマグロブリンを投与しましたが熱はさがりませんでした。今度は病名を小児性リウマチといいました。
そしてステロイド投与
でも熱は下がらず私たちは転院を希望しました。
最後には癌かもしれないといわれました。
このときすでに入院から18日が経っていました。
県立こども病院に転院した息子はすぐに血液検査をし敗血症、インフルエンザかん菌による細菌性髄膜炎といわれました。大量の抗生剤を投与し3週間の入院でした。担当医からは、色んな薬が体に入りすぎているから一度体をリセットしましょうといわれリウマチではありませんからステロイドも飲むのをやめましょうと言われました。
県立病院では一生やめられない薬と言われていたのでびっくりしましたがこの病院なら必ず治ると信じていました。
もともと息子は体が大きくよく食べよく寝て体力があったので高熱でも食欲がありました。それでもなかなか熱が下がらず私たちは生きた心地がしませんでした。今は3歳7か月後遺症もなく元気にすごしています。ワクチンが認証されていればこんな病気にもならずにすんだと思うと残念でなりません。いち早いワクチンが接種できるようにしてほしいです。

6か月 ヒブ(Hib)

生後6ヶ月の時、ポリオの予防接種を受けた夕方に発熱しました。
次の日の朝い1回目の嘔吐をした後、小児科へ・・・
熱が39度くらいあることと、嘔吐があったことを伝えましたが、
突発性発疹でしょうと言われ、取りあえず帰宅・・・。
夕方から、さらに嘔吐が続き・・・。
 
病院へもう一度いきたい衝動にかられたけど、
もう少し様子をみようと思う私。
 
母乳をあげると、勢いよく飲む・・・そして嘔吐・・・
そんな感じを繰り返し夜明けを向かえてしまう私。
 
朝7時に、かかりつけの小児科へ電話して、すぐ見て欲しいと伝え、
1時間後に診察の予約をする。
 
この1時間が長かった。
 
9時に小児科へ・・・。
血液検査やら、尿検査(この時尿は出ませんでした)などした結果、尿路感染症でしょうといわれ、
近くの病院へ紹介状を書いてもらう。
 
すぐに点滴をしてもらえるかと思いきやそこから1時間30分以上待たされる・・・。
 
さっき小児科で、血液検査と尿検査をしたのに
また、血液検査と尿検査だという。。。
 
また?
 
とても、やるせなくなってきた。
早く点滴をして、水分を与えてください。声にならない私のココロの声が響く・・・。
 
この段階でも、まだ尿路感染症という誤診のまま。
 
ようやく点滴もしてもらい、
病室で、入院手続きなどしていると痙攣を起こしはじめました。
 
がくがく震えるので、看護士さんにカラダを暖めてあげてくださいと言われ
一緒に、布団に入り抱きしめたり、さすったり・・・。
様子が、おかしい。
目が、おかしい。口からも泡が出てる・・・。
 
看護師さんに、「ちょっと変です。」と伝えるが、
「大丈夫ですよ〜〜」と、
流される。
 
入れ替わりくる、2〜3人の看護士さんに同じように伝えるけど、
まともに取り合ってもらえなかった気がする・・・。
 
小児科の先生が、15分くらいして来た。
そこからは、ドラマのような感じです。
 
 
看護士さんを怒鳴りつけ、
酸素吸入が始まり、CT検査など先生が、バタバタ始まる。
 
涙が、とまらない。
わけがわからない・・・。
 
  「この病院では、手におえません・・・
   重度の細菌性髄膜炎です。」
 
救急車で、小児科の先生と一緒に医大へ向かう。
 
医大に着いたのは、3時くらいです。
朝、7時に家を出てから、バタバタバタバタ・・・。
 
3つ目病院・・・医大で、ようやく細菌性髄膜炎の治療が始まりました。
抗生剤の投与による治療です。
 
3日間は、覚悟してください。
3日乗り越えられたら、大丈夫。
そういわれました。
 
幸い命は、助かりましたが・・・。
 
2週間くらいたったころ、前頭葉の当たりに膿がたまってしまいました。
膿に菌がいなかったので、針で膿を出しあとは人間の自然治癒力で様子を見ました。
 
だんだん膿も減り、2ヶ月の入院生活で退院することが出来ました。
 
でも、現在3年生の彼女は、知的障害と言語障害が残りました。
 
特別支援学級に在籍しています。
笑顔のかわいい、我が家の天使です。

1歳5か月 不明

ある日の朝、1歳5ヶ月の息子の様子がおかしいので熱 をはかると、
37.8度あったのでかかりつけのクリニッ クに連れて行き診察を受けました。
泣いて機嫌が悪いので血液検査をしてもらったが、白血球の数も炎症値も少し高いくらいだったので、
風邪 の薬をもらって帰宅しました。
その後だんだん熱が上がり、座薬を入れるといったん は下がるのですが、熱が下がってもぐったりしていて
ミルクも飲まず、眠っていました。
夜中も顔色が悪いし、いつもと様子が違う、何かおか しいと思っていたのですが、
熱が高いせいでぐったり して眠っているのだと思っていました。
朝方、イオン飲料を飲ませても吐いて、抱っこしても 嫌がり、明らかに様子がおかしいので
救急センターに 連れて行くと、症状からして髄膜炎だろうと言われ、 髄液をとると真っ白だったそうです。
別室で医師から、髄膜炎を起こしていて、しかも現在 敗血症のショック状態です。
このままでは命が危ない のですぐ挿管して呼吸を確保してICUに移します。
というような事を言われました。
私と夫は驚いて言葉も出ませんでした。
なんでもっと早く連れてこなかったんだろうと、
苦しんでいたのを何故わかってあげられなかったのか
と後悔で涙が出ました。
その後、ICUに10日間いて一般病棟に移り、 合計で約6週間入院しました。
入院中に髄膜の間に水腫があることが解りましたが、 3週間後のMRIでは吸収されてなくなっていまし た。
現在も通院中ですが、奇跡的に特に後遺症もなく 元気にしております。
息子が髄膜炎になる前はHibワクチンのポスターを 見たことがあったくらいで、特にワクチンを勧められ た事もありませんでした。
決められている予防接種を 優先して受けていたので、それが終わったら、程度に 思っていました。
受けさせてあげてれば。。。と後悔 しました。
髄膜炎になる確率は低くても、かかった場合重篤に なることや、思い後遺症が残る事を考えると、
他の予防接種同様、義務付けられていないのが不思議で なりません。

1歳4か月 ヒブ(Hib)

1歳4カ月の時に息子が細菌性髄膜炎にかかりました。
日曜日の朝から発熱をし、いつもだったら熱があっても元気で食欲もある子が、
水分も取りたがらず、起き上がるのを嫌がるようになりました。
「いつもとは違う・・・」と感じたので、タクシーを呼び夜間救急センターへ。
タクシーの中で痙攣をおこし、痙攣した状態で病院に飛び込んだにもかかわらず、
処置は痙攣止めの点滴だけでした。
不安になり、翌日の朝にすぐに小児科へ受診すると、その小児科の先生は「大至急、血液検査をします。
抗生剤の点滴をして、結果が午後一番にわかるので、それまで自宅待機をしていてください。」と言われまし
た。(小児科の先生は細菌性髄膜炎を疑っていたようです。)
検査結果が出たという連絡が入り、小児科へ再度受診すると、結果が非常によくないので、大至急この紹介
状をもって入院設備が整ったA病院へ行くよう指示を受けました。
A病院の小児外来へ行くと、「お母さん、なんでこんなになるまで放っておいたの・・・」と医師に言われました。
いつもとおかしいと感じたので夜間救急を受診した事、痙攣の処置だけをして、翌日に小児科を受診するように言われた事を泣きながら伝え・・・、
息子はカテーテルを腕に入れる処置が始まり、信じられない量(通常の100倍以上の)抗生剤の投与が始まり
ました。
高熱が続き、意識は無く、DICになり、「1週間意識が戻らない場合は覚悟をしてください。
脳が腫れているのでベッドに柵にぶつからないようにしてください」と医師から言われ、この子を失ってしまうのか
と・・・考えるだけで涙が止まらず、夜間救急センターで、「何故いつもと違う事をもっと強く訴えなかったのか・・・」と
後悔ばかりが募り、張り裂けそうな心で必死に看病する日が続きました。
幸い5日目の朝に意識が戻りましたが、高熱、抗生剤の投与は続き、「命の危機は脱しましたが、後遺症が残る事は避けられないと」告げられました。
1か月の入院後、息子は無事に退院。
退院時、担当医からは、「今まで10名程の細菌性髄膜炎のお子さんを治療しましたが、一番重症でした。
でも、今のところ後遺症も見られず、一番元気に退院されるお子さんです。
奇跡ですね・・・」と声をかけてくれました。また、「10年経つまでは脳波、聴力の検査をします。」と言われましたが、経過診を続け2年が経つ頃、「発育、聴力的に異常が全く見られないので経過診はもう来なくていいですよ。」と言われる程に元気になりました。
あの悪夢のような闘病生活をやっと語れるまでになりました。
3年前にヒブワクチンの存在を知り、防げる病気である事がわかった時、「日本にいたからなったの・・・、
何故欧米のように接種ができないの」と憤りさえ感じました。
この病気の恐ろしさを多くの方に知ってもらい、ワクチンが助成だけではなく、無料で接種できる事を心から
祈っています。

生後1か月半(51日目) 不明

娘が生まれた当初、ヒブや肺炎球菌については、育児雑誌等で知っておりましたが、任意だし、どうしようかな、位に考えていました。

まだ予防接種ができる月齢ではない生後51日目。
たまたま休日で家族3人楽しく過ごしていましたが、夕方入浴後、今までと違う泣き方をしたのがはじまりです。
何かに驚いたような、悪い夢でもみたように、「キャー」と叫ぶように泣きました。
よしよし、と抱くと、またすぐ眠りました。
1時間ほどするとまた「キャー」と叫んで起きます。
夕方にぐずるのはよくあることなので、ミルクをあげたり、母乳をあげたり、いろいろしていました。

3時間ほどたち、夫が「この子、体が熱い」と気づきました。熱を測ると38度3分くらいでした。
しかしつい数日前に、「熱だと思ったら着せすぎだったとか、暖房のせいということが多い」「赤ちゃんは平熱が37度くらいある」などと医者に言われたばかりだったので、服を1枚脱がせたりして様子をみようと考えました。

夜、一緒に寝ていても、ちょこちょこ起きるし、苦しそうでしたが、すぐに救急車を呼ぶ勇気がありませんでした。
今思うと馬鹿な考えですが、「こんなことで救急車を呼ぶなんて」と思われることを恐れていたのです。
いくつかの相談機関に電話すると、「3ヶ月未満で38度以上の熱はまれ。危ないので救急病院に行ってください」といわれましたが、ただ、あたふたするばかりで、救急車も呼べず、救急病院に電話することもできずにいました。
そうこうしている内に朝になり、娘はぐったりしてもう泣く力もないようでした。
数時間前までは泣いていたし哺乳力も弱いながらも飲んでいたので少し安心していたのです。

これはおかしい!とそこで気がつき、近所の病院へ駆け込みましたが休診日でした。
娘の生まれた産婦人科へ行くと、他の小児科を紹介してくれ走っていきました。

小児科では、見るなり「少し痙攣している。大きな病院へ行きましょう」といって、医師は紹介状を書きながら、いくつかの病院へ電話してベッドのある病院を確保し、同時に救急車を呼んでくれました。

何が起こったのか全くわからず、震えながら救急車にのりました。
大病院の救急センターに着くなり、「お母さん、入院手続きをしてきてください。
髄膜炎や敗血症の疑いがあります。今すぐ検査しますが、手遅れにならないように同時に薬を入れて行きます。
この病気は死亡や後遺症のリスクがあるのです。治療のためにサインが必要です・・・・云々」
何がなんだかわからず、とにかく不安で、手が震え、娘はどこかへ連れて行かれました。
本当に不安でした。

しばらくして、医師に呼ばれ、髄液検査の結果、やはり髄膜炎だろうこと、髄膜炎の恐ろしさ、新生児でも発症することや、今後の治療についてなど説明をうけ、正式に入院することになりました。

小さな体に、たくさんの管がつけられて、せまい保育器の中にいる娘を見て、どうして救急車を呼ばなかったのかと悔やみ泣きましたが、医師が「発見が早いほうです。
昨日救急車を呼んでも、もしかしたら解熱剤や痙攣止めで帰されていたかもしれない。
小児科医の初見や紹介状があって然るべきところに迅速に来られたのだから、自分を責めないで」と言ってくださいました。

それでも、毎日、自分を責めました。

入院1週間がたち、保育器から出ることができたので付き添い入院となりました。
それから2週間を病院で過ごし、治療と検査を順調に行い、3週間で退院できることになりました。

幸い、聴力検査、脳波、MRIと検査結果は良好で、今後は毎月の検診と、数ヶ月に1度のMRIや脳波の検査をするだけになりました。

髄膜炎の原因菌については、培養して調べたのですが、結局特定することができず、細菌性なのかウイルス性なのかもよくわからないままです。

現在、生後8ヶ月を向かえました。

首すわりは遅く、不安もありましたが、首すわり後は急激に成長し、寝返り、ずりばい、はいはい、つかまり立ち・・・とその成長に驚くばかりです。

あまりにも元気なので、あれは間違いだったのではないか?と思うほど回復しました。

毎日飲んでいるひきつけ予防のためのフェノバールも、いらないのでは?と思ってしまうことも。
しかし、医師に「油断しないこと」「この病気をしたお子様は忘れた頃にひきつけたりすることがあります」と釘をさされており、服用はしっかり行っています。

実は今日、ある育児情報誌で、髄膜炎について読みました。
予防接種を推奨し、このサイトへもリンクしています。

しかし、その文章中の一文、
「細菌性髄膜炎では…(中略)…後遺症もねく、治ったと思われたお子さんでも、中学生以降になってから、知能に障害がでてくることもあります。」
この一文にまたあのときの不安がよみがえりました。
そして改めてこのサイトを見るにいたりました。
数ヶ月前、発症したときもこのサイトにたどり着き、悲しみ、悔やみ、そして当事者・医療関係者の声を読んで自分を励ましていました。
あの頃は、当事者として声を出す気力もありませんでしたが、いま、やはり自分も当事者として声をあげようと思いメールを送ります。
書いていながらも、娘の将来が、明日が、不安で仕方ありません。
娘は新生児で、ワクチンでの予防はできませんでしたが、今後再度かかることのないよう、Hibも肺炎球菌も接種しました。
たまに児童館等で、お母様方の雑談に予防接種の話題がでます。
「Hibどうした?」「機会を逃してまだやってない」「1歳以降なら回数少なくてよいんじゃない」
「うちの区は補助があるよ」「私の市にはないわ」などなど・・・・
子供がいつも健康だと気づかないかもしれません。
私も、経験していなかったら同じような会話をしていたと思います。
でも、いつかかるかわからないのです。
そして、病気はワクチンで防ぐことができるのです。
どうか、全員が、いますぐ接種してほしい。
任意だから受けなくてもいい・・・なんて考えないように、全国的に公費で定期接種としてほしい。

そして、もし、ワクチン接種前に、ご自身のお子さまに異変があったら、すぐに病院へ連れて行ってほしい。
親が感じる「いつもと様子が違う」は、的確だと思います。
恐れないで、病院へ行ってほしい。
それから、信頼できるかかりつけ医を持ってほしい、と思います。

心のどこかに、「もしかしたら」と不安を抱えながらも、娘の成長をしっかり見守っていこうと思います。
今後も、当事者として情報を発信していきたいと思います。


後遺症の不安と戦っておられるご家族へ
わたしたちはこんなに元気に回復できました

生後1か月  大腸菌

うちの息子は現在16歳、高校球児です。この病気に、かかったのは生後1か月になった翌日でした。
朝から何となく機嫌が悪く泣いてばかりでした。そんな状態が昼ごろまで続きました。
それでも母乳は普通に飲んでいました。だからそんなに気にもせずお祝いにきてくれた友達に抱いてもらったりしていました。
けど、友達が、この子異常に色が白いね、と言われて、そう言えば今日は変に顔に赤味がないと思いました。
夕方、友達が帰りしばらく、おとなしく寝ていましたが、また泣き出したので授乳すると、飲みはしましたが、
突然痙攣し、足がおなかにつくぐらいの、ひどいけいれんで、その後は、乳を吐き、意識を失いました。
震える手で小児科に電話をしてすぐに連れて行きました。
先生は、すぐに酸素吸入して、ただごとではない病だと判断され救急車を適切な病院に運んでくださいました。
病院に着くと1時間程で病名がわかりました。
「命は、1週間が山です。もし助かっても50%の確率で障害を残すでしょう。」と宣告され呆然としました。
最初の病院では熱は逆に低体温でしたが、すぐに高熱が続いたようです。
抗生物質は、とりあえずどの菌にも効くと言われる物を使われたようです。
髄液の値は11100という値でした。
毎日の様に検査が続き9000になり、8000になり、5000になり少しづつではありますが良い方向に向いて行きました。
そうするうちに病原菌が特定でき、大腸菌によるものだったのでその菌にだけ効く点滴にかわり、
みるみる良くなり約1ヶ月程で退院できました。
1歳を過ぎるころに突然、歩けなくなったり伝染病が自力では治せなかったり、心配続きでした。
その息子が一時は障害を覚悟で育ててきましたが心配をよそに、マラソンも学校で一番、高校生になった今では高校野球の強豪チームからのスカウトも受け、1年の時からレギュラーで活躍するほどの体力を身につける事が出来ました。
色々言われた障害は何一つありません。
この病気は時間との戦いで、早期に原因をつきとめ治療することが大切だと思います。
少しでも異常にに気がついたら様子を見ずに救急車を呼ぶことをお勧めします。


生後3日目 

2009年10月28日 

元気な男の子が生まれました。

体重 2598g 

特に問題ないと思われていましたが、生後3日目
チアノーゼ状態になり、顔面蒼白になっているのを看護師が発見し、そのまま救急病院NICUへ搬送。

特に臓器などに異常はなく、感染症の疑いがあるとされ抗生剤を投与。

そのまま病名・原因は分からず、1週間が経ち、初めに採取された血液と髄液の検査結果から「細菌性髄膜炎」と診断されました。

その時は、本当に絶望的でした。

しかし、毎日母乳を届けて彼の様子を見ていると点滴などは痛々しいですが、元気に手足を動かし大きな声で泣き、他の子供たちと変わらない、むしろ未熟児たちよりも元気に過ごしていました。
この時は、少し、前向きに捉えることが出来はじめていました。

が、2週間、3週間経ち、他の子供たちはどんどん退院していくなか、見た目はすごく元気なのに取り残されていく我が子を見て、「細菌性髄膜炎」ということ改めて感じるようになり、不安で、本当に悲しくなりました。

最悪の事態は免れましたが、新たに出てきた後遺症が残るかもしれないという不安を胸に日々、母乳を届けるだけしかできない自分が情けなくなりました。

命が助かっただけでもよかったと思うようにし、後遺症が出たとしてもこの子と一緒に頑張ろうと、何も確証の無い希望(元気に成長していくこと)を望むより、最悪の事態を脱してよかったと感謝しようと、自分に言い聞かせていました。


そして入院から、一ヶ月経ち経過も良好と告げられ、翌日、MRIや難聴などの検査をし、異常もなく退院を迎えることが出来ました。

定期的な検査も必要ないと言われ、普通の子供たちと同じ検診だけでよいと言われました。

本当に嬉しく、妻と泣きながら喜びました。

しかし、心の片隅で「今後何が起こるか分からない」という、この不安はこれから先も続くでしょう。

機会があれば、今後の成長をご報告したいと思います。


「髄膜炎」という診断を聞き、不安でいろいろなサイトを見ましたが、後遺症のあるお子さんに関してのコ
メントが多く、私自身、より不安になりました。

このメッセージをお読みになって、期待が裏切られることもあるかもしれませんが、月齢の早い子でも元気になったというケースもあることを知っていただき、過度な不安を和らげられれば、と思い書き込みました。

生後2か月 

わたしは今高校3年です。
スポーツ、勉強など充実した毎日を今淡々とおくっています。
なに不自由ない といったところです。

そんなあたしですが実は生後2ヶ月ごろ 細菌性髄膜炎におかされました。
母親から聞いたはなしです。

いきなりの高熱だったそうです。
40度の熱がずっとさがらなかったそうです。
病院にいくと 髄膜炎と診断されました。
頭には髄液がすでにたまっていました。

確かにお風呂で髪を洗う時尋常じゃないくらい泣き叫んでいたそうです。
きっと何か訴えていたんじゃないかな。。

その時は呼吸も浅く 力なく ヒューヒューと息をしていたそうです。
その後水を抜き、体中に管をされ薬ずけだったそうです。 
医者には 後遺症が残る可能性が高いです
最悪な事態も 免れないかも といわれたそうです。

でもその後は順調に回復し
後遺症もなく 元気に育っていきました。

20〜30%が後遺症に苦しんだり
命を落としたりしている

そんななか こうやって普通にすごして 
あたしは本当に奇跡だと思いました。
当事者の声の記事を読んだら
涙が止まりませんでした。


ちいさな まだ自分すら分からないような時期に命を落としてしまう
そんなこと 悲しすぎます
あたしは本当に奇跡的な生き残りだったかもしれません。

今は看護師をめざしています。
命を守りたい 強い気持ちがあります。

ワクチンがもっと普及してほしい
この恐ろしさに気づいて欲しい

看護師になってあたしにできること
探すつもりです。


命の大事さ 痛感します

2009年発症

細菌性髄膜炎(2009年10月発症)

その後、子供は元気に後遺症もなく成長しています。

「もしかすると、今、以前の私と同じ状況になっている方がいるかもしれない。」と思い再びメールしています。

月齢が早く髄膜炎になった子供でも、元気に成長しています。
もうすぐ、1歳半です。

元気に歩き、いくつか単語もしゃべれるようになりました。

希望を捨てず、見守ってあげてください。

子供自身、一生懸命生きようと頑張っています。

このメッセージを読まれた方々が、幸せになるよう祈ります。



小学1年生になりました

2007年生まれの息子が生後4か月の時、細菌性髄膜炎にかかりました。その経過は、以前書いて載せ
ていただいたとおりです。
 5歳の時、発達に顕著な遅れはありませんでしたが、字や絵に興味を持たないこと、体の不器用さなど
が気になり、「ことばの教室(母子通園センター)」に相談して、通うことになりました。「苦手なことは
あるけれど、かしこい子だよ。ここで自信をつけていけるよう、指導するからね。」と言われ、遊びを中心
としながら、指導していただきました。
 現在小学1年生になりました。「ことばの教室」にはまだ通級しています。ひどく不器用で暗号のような
字を書きますが、学習にはついていっています。めったに風邪もひかず、元気いっぱいです。そして、とっ
ても優しい、いい子です。
 こんな病気になったのだから、今後、何らかの問題は出てくるかもしれないと思っていました。ただ、今
の息子の不器用さが病気と関係あるのかどうかは分かりません。原因が分からず、発達に問題が出ることだ
ってたくさんあるのですから。
 あの時、「生きて」「元気になって」と願った息子が、今、生きて元気でいることを、ありがたいと思う
し、その気持ちを忘れないようにしようと思います。
 今、病気と闘っているお子さんやご家族の方には、先が不安で仕方がないかと思いますが、ここを乗り越
え、生きて、元気になれれば、きっとその子なりの育ち方で、明るい未来に進んでいけると思います。
 今、病気と闘っている方が、元気になれますように。そして、この病気にかかる人が、いなくなります
ように。



ゆっくりゆっくり育てていきます

 
娘は生後2ヶ月を目前としていたある夜突然39.8度の熱をだし
ました。
何の知識もありませんでしたが、哺乳不良で娘の異変に気づ
くことができました。
二つの病院にいきましたが原因不明、みるみるうちに意識朦
朧とする娘を抱え三つ目の病院にいき検査した結果
『今すぐに治療を開始します。お子さんは髄膜炎です。手は尽
くしますが覚悟してください』と言われました。
即入院になりその後の説明で
死亡率が高いこと、命が助かっても後遺症が残ると思います
と宣告されました。
CRPは25まであがりました。
幸いサチュレーションが下がることはありませんでしたが生
後2ヶ月の小さな娘がすごくくるしんでいました。
3日が山場だと言われたので
ひたすら娘の生きる力を信じていました。
また、原因菌がなかなかわからず使用する抗生剤も試行錯誤
で使って頂きました。
血液製剤を投与して2日たったときにようやく命の危険は脱し
たとのお言葉を頂きました。
しかし後遺症との闘いが始まりました。
入院後半月程で硬膜化水腫があらわれました。
菌の数値も良くなったり悪くなったりしていましたし
娘は抗生剤にアレルギー反応を起こし全身発疹がでたり
一進一退でした。
懸命に治療して頂き無事に退院できましたが
退院後も月に1度は通院しています。
硬膜化水腫は手術目前で水がひけ手術には至りませんでし
た。
退院後に判明した原因菌はB群溶連菌でした。

1度は死を宣告され生き延びた娘。
重い後遺症が残ると言われましたが自分の力でしっかり歩い
ています。
みんなが当たり前にできることが
娘にとっては奇跡的なことだと思うと一つ一つの成長が愛お
しくて仕方ありません。
ゆっくりゆっくり大切に育てていきます。




希望

 
年少の夏休み直前、朝一番で近くの病院で風邪と診断された私は弟
に眠りを妨げられないようにと二階の子供部屋で寝かされていまし
た。時々母が様子を見にきていた時は特に変わったことはありませ
んでした。
夕方、いつもより早く帰宅した父が様子を見にきた時には全身が痙
攣していたそうです。
救急車で大きな病院に運ばれた私。検査の結果、化膿性髄膜炎と診
断がでました。熱は41℃を超えていたと聞きました。
「会わせたい人がいたら早く!急いで!…」
そう言われた瞬間見ている景色の色が消え誰に連絡をしたのか誰が
きたのかも全く覚えてないんだそうです。
その当時はまだ絶対的な治療法もほとんど分かってなく、主治医の
先生達はあれこれと調べながら懸命に治療をしてくれたそうです。
そのおかげで命を助けてもらいました。
ですがその後は使った薬の副作用や様々な病にかかり苦しい生活を
送りました。「皆みたいに遊びたい。また走りたい。お勉強した
い。大人になりたい。お嫁さんになりたい。お母さんになりたい。
なんで美樹ばっかり!髄液やとらん!」何度両親や主治医に泣いて
言ったことか。小中高は様々な制限の毎日でした。入院中に何度も
逃げた。一時は母を恨みました。何故丈夫な体に産んでくれなかっ
たのかと…母のせいでは決してないのに…
今私は38歳です。
中学時代の先輩と結婚し9歳と2歳の娘がいます。
私、お母さんになれました。お母さんになれたんです。
髄膜炎になってから、ずっとツラかった。いっぱい泣きました。た
くさん我慢しました。痛い検査や治療も嫌だった。今でも病院に行
っています。
でも大人になるまで生きれました。お嫁さんにもなれたしお母さん
にもなれました。
くじけてもいい。逃げてもいいんです。きっとあなたやあなたのお
子さんにも私のような未来がくるかもしれない。幸せがくるかもし
れない。「希望を捨てないで」よく言われました。ツラい時は「希
望って何?」って卑屈になっていたけど今ならわかる。
「希望ってね。未来のことなんだよ」

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細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会

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